大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2571号 判決 1980年2月06日

原告 高橋芳子

被告 白井鈴鷹

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地上に存する擁壁、階段を収去し、同土地を明渡せ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地上に存する擁壁、階段、土砂を収去し、同土地を明渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、藤沢市片瀬目白山(旧称字狢ケ谷)一二九三番一畑五一五平方メートルの土地(以下、原告土地という。)を所有している。

2  被告は、原告土地の一部である別紙物件目録記載の土地部分(以下、本件土地部分という。)に、別紙図面(二)に表示するように、盛土して擁壁及び階段を設置し、同土地部分二二・九九平方メートルを占有している。

3(一)  被告は、原告土地の南側に国有地(青地)をはさんで、藤沢市片瀬字狢ケ谷一二九四番宅地四二九・七五平方メートル(以下、被告土地という。)を昭和三七年二月二四日訴外鈴木良平から買受けて、これを所有している。

(二)  原告土地とその南側の国有地との境界は、別紙図面(一)の6、4、9の各点を順次直線で結んだ線であり、原告土地の東南端にあたる9の地点が、藤沢市と鎌倉市の行政境の屈折点(別紙図面(二)の境界線上の最下部の黒点)に当たることは、公図から明らかである。従つて、被告土地が右6、4、9を結ぶ線より北側にまで及ぶことはない。

よつて、原告は、所有権に基づき、被告に対し、本件土地部分上に存する被告所有の擁壁、階段、土砂を収去し、同土地部分を明渡すことを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1は認める。

同2中、本件土地部分が原告土地の一部であること、被告が盛土したことは否認し、その余の事実は認める。

同3(一)の事実は認めるが、3(二)の事実は否認する。

2  被告土地は、被告が買受けた昭和三七年当時、その北側の原告土地より一段高く約三メートル程隆起しており、被告土地の北側の境界は、北側傾斜地のふもとの線とみるべきである。従つて、本件土地部分は、被告土地の一部である。

三  抗弁

1  被告は、昭和三七年二月二四日、被告土地を買受けた際、本件土地部分が被告土地の一部であると信じ、所有の意思をもつて、平穏公然に占有してきたものであり、昭和四七年二月二四日の経過をもつて、本件土地部分を時効により取得した。被告は、右取得時効を援用する。

2  被告が被告土地を買受けた際、本件土地部分が被告土地の一部であると信じたことに過失はない。

すなわち、被告は、昭和五三年ころ、被告土地を買受けることを決意し、隣接地(原告土地)の所有者を調査したところ、訴外鈴木ハマが右土地につき共有持分二七分の九の共有者中最大の持分を有し、右土地を耕作していることが判明した。そこで、被告は土地買受の仲介人である訴外道村文男に境界の確認を依頼し、道村は、同年一二月八日、鈴木ハマとの間で境界の確認をし、これに基づき、訴外松村美規男が現況実測図を作成した。実測図作成の際、鈴本ハマが立会つており、実測図作成後これを同人に示したところ、同人は図面のとおり間違いない旨を述べた。被告は、右実測図の示す北側境界線をもつて被告土地の北側境界線を確認したのであつて、本件土地部分は右境界線の南側にあるから、被告が本件土地部分が被告土地の一部であると信じたことに過失はない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

同2中、松村美規男が被告主張のころ実測図を作成したことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  土地家屋調査士である松村美規男が作成した右実測図は、現況を測量するよう依頼されて、依頼者の指示のみに基づいて測量し、写図したもので、このことは、右測量図に註として、「本図は市道、官有地、京浜急行、一部民有地関係の立会せず、官有地(青地、公図参照)を含む現況求積せるもので、後日の為申添えておきます。」と記載されていることで明らかである。被告は、公図を参照せず、土地境界を隣接地所有者などにより確めないで取引をしたのであるから、過失がある。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1、同2、同3(一)の事実は、同2中本件土地部分が原告土地の一部であること、被告が盛土したことを除き、当事者間に争いがない。

被告が、本件土地部分内で盛土したことは、これを認めるに足る証拠がない。

二  右争いのない事実及びいずれも成立に争いのない甲第一号証、第六号証、第一〇号証、証人鈴木満治の証言により真正に成立したと認められる甲第二ないし第四号証、証人高橋繁の証言により真正に成立したものと認められる甲第七号証、同証人証言及び弁論の全趣旨により藤沢市片瀬行政センターに保管されている「以曲尺壹分擬一間図」の写真であると認められる甲第八号証の一ないし八、原本の存在及び成立に争いのない乙第一号証、証人鈴木満治、同高橋繁の各証言によると、原告土地の東側は国有地(いわゆる青地)に接しており、この青地の南側に接して被告土地があること、原告土地、被告土地ともにその南側は、南北に走る巾六尺の道路に接していたこと、この道路の中心線が藤沢市鎌倉市の境界であり、昭和三五年当時には両市境界線の各屈折点には石標が埋められていたこと、現在、右道路は原状を維持していない部分もあり、右石標も失われたものがあるが、確定された両市境界線は境界確定図により明らかであり、同図により現地と照合できること、昭和四八年一〇月一日変更後の藤沢市片瀬目白山(狢ケ谷)公図には、右両市境界道路がなお記載されているが、公図上、原告土地の東南角の地点は、右両市境界道路が原告土地の東南の部分で西にやや屈折して、原告土地と被告土地にはさまれる国有地(青地)に接し、次いで東に屈折して丁度「く」の字をなすその屈折点の最西の道路端であること、この境界道路の屈折点に照応する藤沢市鎌倉市両市の境界線の屈折点は、別紙図面(二)の境界を示す線上の58の黒点であり、昭和三五年当時この境界線の屈折点には石標があつたこと、別紙図面(一)、(三)の9の地点は、右の石標から前記道路幅の二分の一の三尺をとつた地点であることが認定でき、以上の事実に照らせば、原告土地の東南角の地点が別紙図面(一)、(三)の9の地点であると認めることができる。そして、右認定の事実と前掲各証拠を総合すると、原告土地とその南側の国有地(青地)との境界は、別紙図面9、4、6を順次直線で結んだ線であり、原告土地の東南部分の東側の境界が別紙図面(一)、(三)の9、8、7、1を順次直線で結んだ線であると認定できる。

証人道村文男の証言中には、別紙図面(一)の1、2、3、5、6を順次直線で結んだ線よりさらに北側に被告土地とその北側の国有地(青地)の境界があり、昭和三五年一二月八日被告土地を実測した際、当時の原告土地の所有者鈴木ハマは道村文男が指示した右境界を承認した旨述べる部分があり、乙第二号証の記載内容は右証言に沿うものであるが、前掲甲第二号証と証人鈴木満治の証言によれば、同年一〇月一五日には、鈴木ハマの依頼により鈴木満治が当時の一二九三番一の土地を実測し、その南側境界が道村文男の指示した被告土地の境界より南側にあることを示しているのであるから、鈴木ハマが軽々に道村文男の指示した境界を承認すると認めることは不自然であり、道村文男の右供述部分及び乙第二号証は、これをもつて、前記認定を覆えす資料とすることはできず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

三  そこで抗弁について判断する。

被告本人尋問の結果によると、被告は、不動産業者の道村文男の仲介により被告土地を買受けたものであるが、買受に際して、土地家屋調査士松村美規男作成の図面(乙第一号証)、鈴木ハマ作成名義の承諾書(乙第二号証)を道村から示され、境界の説明を聞き、現地の地形を見て、道村が指示する境界を被告土地の境界と信じたことが認定できる。

ところで、前掲乙第一号証によると、松村美規男作成の図面は、上部に実測図が表示されているほか、下部に公図写と表示されて公図が転写され、また、註として、「本図は市道、官有地、京浜急行、一部民有地関係の立会せず、官有地(青地、公図参照)を含む現況求積せるもので、後日の為申添えておきます。」と記入され、その下部に求積表として、被告土地にあたる<A>の部分の面積が一九七・一四三七五坪ある旨記載されていることが認められ、一方、いずれも成立に争いのない甲第九号証、乙第六号証によると、被告が買受けた被告土地の面積は、登記簿上及び売渡証書上いずれも、二畝二六歩外畦畔一畝一四歩と表示されていたことが認められる。

右事実によると、被告土地の実測面積一九七・一四坪が登記簿に表示された二畝二六歩外畦畔一畝一四歩(一三〇坪)の約一・五倍であり、通常の縄延び程度ではないことが明らかであり、また、右松村作成図面の実測図とその下部に転写された公図写を対比すると、実測図はその北側部分において、公図写と地形を著しく異にし、公図の地形に照応するのは、実測図中、土地の傾斜部分を示す線で表示された部分ではないかと疑問が生じ、右坪数の差異と対比するときは、実測図の境界線が事実の境界線を示すものかどうか疑うのが、通常の判断であるというべきである。このことからすれば、被告は、この点を仲介人である道村文男に正すなり、隣地所有者に直接当たつて調査するなり、適当な手段をとるべきであつたといわなければならず、これをせず、道村文男の言を軽々に信用し本件土地部分が買受けた被告土地の一部であると信じたことは、これをもつて、過失がないということはできない。

従つて、その余の事実を判断するまでもなく、被告の抗弁は失当である。

四  よつて、原告の請求は、被告に対し、本件土地部分に存する擁壁、階段を収去し、同土地部分の明渡しを求める限度で理由があるので、これを認容し、その余の部分を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野利秋)

別紙物件目録及び図面<省略>

昭和五三年(ワ)第二五七一号

更正決定

神奈川県藤沢市辻堂太平台一丁目一〇番二〇号

原告 高橋芳子

神奈川県藤沢市片瀬目白台一番九号

被告 白井鈴鷹

右当事者間の昭和五三年(ワ)第二五七一号工作物等収去土地明渡請求事件につき、昭和五五年二月六日当裁判所で、言渡した判決に明白な誤謬があるので、職権により次のとおり決定する。

主文

前記判決の事実中、第三証拠二被告の欄の末尾に

「3 甲第一、第六号証の各原本の存在及び成立は認める。第五、第九、第一〇号証の各成立は認める。その余の甲号各証の成立は不知」。

と加入して更正する。

(裁判官 牧野利秋)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例